雑誌岩井圭也

小説と雑文

わたしの『数学本』1冊目

『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』早川書房
 (アポストロス・ドキアディス、訳・酒井武志)


 先日、数学をテーマにした小説『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞をいただいた。この題材には投稿をはじめたころから何度か試みていて、初めて新人賞の最終候補に残った小説もそうだった。
 こう書くと「数学ができる」アピールをしているようだが、実際はそんなことはなく、理系のくせに大の苦手分野だ。大学受験でも生物の勉強はご褒美だったが、数学の勉強は苦行だった。確率やベクトルはかろうじて覚えているが、微分積分や行列になるとかなり怪しい。
 そのせいか、数学ができる人への憧れはすさまじいものがある。国語や英語や生物ではこうはならないのに、数学の得意な人だけは、無条件で興味を持ってしまう。理解できないからこそ、その人の思考回路を理解したい、と思う。
 とにかく「数学ができる人」への興味は尽きず、その究極形ともいえる「数学者」には強い好奇心を抱いてきた。

 『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』は、才能に恵まれたがゆえに数奇な人生をたどる数学者の物語である。
 「わたし」の伯父であるペトロス・パパクリストスは、どの家にもいる「困り者」だ。わたしは父や親族から落伍者の烙印を押されているペトロス伯父が、何らかの「研究」に没頭しているらしいと知る。研究の内容を解明しようとするわたしは、偶然にも伯父宛ての電話を受け取る。
 電話をかけてきた男性はギリシャ数学協会の人間だった。彼は伯父のことを「パパクリストス教授」と呼ぶ。実はペトロスは、かつてミュンヘン大学解析学の教授を務めていたのだ。
 その後、わたしは父から、ペトロス伯父がかつて「とほうもない大罪を犯した」と聞かされる。大罪とは、その卓越した数学的才能を世紀の難問「ゴールドバッハの予想」に浪費したことであった――
 ペトロスがどのような人生を歩み、「わたし」が伯父とどのような関係を結ぶのか。続きはぜひ本書を読んで確かめていただきたい。

 初めて読んだとき、それまでにない性質の感情を覚えた。こんなにも、一途に魂を燃やす生き方ができるものなのかという驚き。
 当時、わたしは大学四年かそこらだった。これで生きていくんだ、と胸を張れるほど熱中するものは何ひとつなかった。授業と部活とアルバイトが生活のほぼすべてで、どれも当時は重要だったが、人生を賭けてもいいとまでは思えなかった。
 自分の人生を投げ打ってもいいと思えるもの。考えは毎回、「小説を書く」ことにたどりつく。その割に、わたしはまだ短編のひとつも書きあげたことがなかった。書きはじめても、最後まで書ききることができない。
 もがくように本を読むことで、言葉を少しずつ、自分のなかに貯めこんでいる時期だった。

 それから数年後、社会人になりたての春、わたしは自分が物書きになりたかったことを思いだす。幸い、研修中ということもあって時間が余っていた。苦心しながら、勢いにまかせてどうにか一本の短編を書きあげた。出来はお世辞にもいいとはいえないが、とにかく小説を書いたという充実感があった。
 わたしはこれと同じ感覚を、過去に一度だけ経験していた。『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』を読んでいたときのことだ。
 「これしかない」と思える道を選んだとき、人は満たされていると感じる。ペトロス・パパクリストスに乗り移ったわたしは、物語を介してすでにその充実感を知っていた。
 だからその短編を書き終えたとき、自然と「これからも小説を書いていくんだな」と思うことができた。

 その年の夏に書いた長編小説を、わたしは生まれて初めて新人賞へ応募した。応募先は第4回野性時代フロンティア文学賞。5年後にその賞を受賞することになるとは、夢にも思わなかった。初めての投稿は2次選考で落選したが、小説を書くことを諦めようとは思わなかった。
 長いモラトリアムを経て、やっと見つけた「これしかない」と思える道なのだから。