雑誌岩井圭也

小説と雑文

わたしの『数学本』3冊目

『数学する精神 正しさの創造、美しさの発見』中公新書

(加藤文元)

 

 数学や数学者に神秘的なイメージを見出す人は少なくないと思う。

 かくいう私も、本書を読むまではそう考えていた。特に、数学にまつわる読み物で頻出する「美しさ」という言葉に引きずられていた部分もあった。

 しかし他の学問と同様、数学も人間の営みの一部である以上、人間くささを排除することはできない。とっつきにくい記号や数式のイメージが無機質で機械的な印象を与えているものの、それを作り出したのも人間である。数々の言語や社会のルールと同じように。「美しさ」だって人間の手で作られたもので、いきなり目の前にポンと現れたわけではない。

 本書の冒頭、著者は仏師を引き合いに出し、どんなに深奥な芸術も人間の手が加えられているからこそ豊かなのだと語る。それは自然科学も同様であり、数学を創ったのも人間なのだということを、改めて気づかせてくれる。

 私たちはあまりにも、科学に対して信頼を置きすぎるきらいがあるのかもしれない。科学的に正しいということは、絶対的な正しさを意味しない。(科学への信頼を悪用し、「科学的に正しくない」ことまでもが、「科学的に正しい」と主張される場合すらある)

 科学もヒトの営みであり、多くの人が日常的にこなしている仕事や家事、勉強、遊びといったことと同じ次元で捉えることで、適切な距離感を保つことができるようになるかもしれない。

 

 本書は「二項定理」を軸として、数学における「正しさ」「美しさ」とは何か、という言語化困難な命題に挑戦している。

 言葉は平易で、数学に心得のない人でもなんとなくわかるように書かれている。それでもときには数式や難解な概念が登場するが、それを読み飛ばしても雰囲気は理解できる。そういった読み方ができる本は稀有な存在だと思う。

 普通、専門書の類は読み飛ばしてしまうと以後の内容がよくわからない。入門書といわれる本でも、序盤の定義づけが理解できないと、後半の内容がさっぱり理解できないということはしばしばある。かろうじて理解できても、退屈に感じられてしまい、興味を持続させて最後まで読み切ることが難しい。しかし本書はそういった退屈さとは無縁で、わかりにくいところをどんどん飛ばし読んでも十分に楽しく、面白い。(もちろん、難しい箇所で立ち止まって考えてみても面白い)

 エピローグで紹介される「数の系譜」は、数学者の苦闘の歴史である。

 自然数(正の整数)しか存在しなかった世界に負の概念が持ちこまれ、数の世界は正と負の整数にまで広げられた。数字の足し引きから掛けたり割ったりという処理が生まれ、世界は有理数まで拡大された。割り切れない数を認め、円周率などの数字を認めることで、世界は実数まで広げられた。虚数という思考の産物が誕生したことから、世界は複素数まで開拓された。

 いつか全く異なる発想から生まれた数が、その先に加えられるかもしれない。数の地平をどこまで切り拓くことができるかは、とりもなおさず人間の営み次第だ。数の世界は絶対的な神が用意したものではなく、人間の手で押し広げられた場所なのだから。

 

 本書は「永遠についての証明」を書くにあたり、最も参考にした資料のひとつである。本書と出会わなければ、「永遠についての証明」もまったく違う小説になっていたかもしれない。

 数学の豊饒さ、美しさを教えてくれた本書には、感謝してもしきれない。