雑誌岩井圭也

小説と雑文

不伝子 <4>

 帰宅すると、キッチンで重雄さんが夕食の準備をしていた。火を通したトマトの甘酸っぱい香りがダイニングまで満ちている。農業法人に勤める重雄さんは、年に数回は深夜まで残業することがあるけれど、ふだんはたいてい六時前に家に帰っている。休日出勤がたびたびあるから、週末に家にいるとは限らない。重雄さんが夕食をつくるのは我が家の暗黙のルールだった。和馬さんは市役所で働いていて、六時ごろに帰宅する日があれば、九時を過ぎる日もあってまちまちだ。たぶん、もっとも残業が少ないのはわたしだろう。年間で五十時間もない。

「トマト煮、だよね」

 言いながら鍋のふたを開けると、ひと口大の鶏もも肉がトマトペーストの温泉に浸っていた。ぐつぐつという小気味よい音にあわせ、身を寄せるように細かく揺れている。ブロッコリーやパプリカも入っている。トマト煮は重雄さんの得意料理であり、わたしの好物のひとつだ。重雄さんはシンクの脇でフリルレタスをちぎっていた。

「もうご飯にする?」

「待つよ。なんで。和馬さん、遅いの」

「鍋のふた開けてたから、お腹減ったのかと思って」

 空腹だったけれど、待てないほどではない。自分の部屋でジャージに着替えてリビングのソファに寝転がった。さっきまで重雄さんが見ていたのか、テレビがつけっぱなしになっていた。ザッピングしたが、面白そうな番組がないので電源を切ってしまう。急に家のなかが静かになったような気がした。手持ちぶさたになって、粘着テープ付きのコロコロでカーペットに落ちた毛や埃を掃除する。コロコロは暇つぶしにちょうどいい。思い立ったときにはじめて、飽きたらやめられる。

 和馬さんは十五分後に帰ってきた。ダイニングに入ってくるなり、お、トマト煮、と同じことを言う。わたしは重雄さんと一緒に食卓の準備をして、席につく。和馬さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出した。和馬さんと重雄さんはテーブルの長辺に隣り合って座り、その向かいにわたしの席がある。食卓からは二間続きのリビングのテレビが見える。食事中にテレビを見ることもあるけれど、今夜は電源が切られたまま沈黙している。

 いただきます、と声をあわせてトマト煮に箸をつける。トマトとオリーブオイルの香りが混ぜ合わされ、鼻腔に爽やかな甘酸っぱさを運ぶ。具材を噛むと、奥歯が弾力のある鶏肉に食いこむ。ソースのからんだブロッコリーが塩気を添え、野菜のエキスと脂が一体となって舌に広がる。トウガラシのぴりりとした辛さがさらに食欲を刺激する。子供のころから親しんだ味は、飽きる気配がない。

 和馬さんはトマト煮をおかずに白飯を食べながら、汁物代わりにビールを飲む。こんな食生活を送っているせいか、ここ数年でずいぶんお腹がせり出した。重雄さんはわたしが中学生のころからほとんど容貌が変わらない。わずかに顔の皮膚が張りを失い、目尻に刻まれる皺が深くなったくらいだ。和馬さんが飲んでいるビールの缶のデザインに見覚えがあった。ウグレゴルスクだ。広崎の職場にあったクラフトビール

「それ、おいしいの」

 和馬さんはこちらに目を向けると、缶から口を離してテーブルに置いた。

「飲むか」

「いらない。別に飲みたかったわけじゃないから」

 気を悪くするでもなく、和馬さんはふたたび喉を鳴らしてウグレゴルスクを飲みはじめた。重雄さんはわたしたちのやりとりに見向きもしない。アルコールに弱い重雄さんは、自宅ではまずお酒を飲まない。外食や職場の飲み会で少しビールを飲む程度だった。わたしもどちらかといえば、そんなに飲めるほうではない。冷蔵庫で待機している大量の缶ビールは、大半が和馬さんがひとりで消費する。

 身長は同じくらいだけれど、重雄さんは痩せていて、和馬さんは中年太りを隠せなくなってきた。重雄さんの頭髪は黒くて豊かで、和馬さんは生え際がつむじの位置くらいまでせりあがっている。どちらがいいというわけじゃない。わたしはふたりとも好きだ。

 ふたりは今年の四月に結婚二十七周年を迎えた。毎年、結婚記念日には自宅でごちそうを食べることになっている。それまではふたりが自分たちで用意していたけれど、高校を卒業してからは、ごちそうを準備するのはわたしの役目になった。今年は手製の生地でシーフードピザを焼き、ネットのレシピを参考にローストビーフを作った。買い物と調理で休日が一日半つぶれたけれど、気にならなかった。和馬さんも重雄さんも、おいしい、おいしい、と言いながら料理をたいらげてくれた。