雑誌岩井圭也

小説と雑文

不伝子 <5>

 わたしには生まれたときから父と父がいる。かつて異性カップルでないと子供を持てなかった時代があったことも、頑なに〈それ〉への信奉を続ける人がいることも知っているけれど、気にしないようにしている。悲しい結末しか想像できないことには、最初から首を突っこまないようにしている。

 精子卵子の提供は必要とするものの、胚培養から発育までを体外で完結できるようになったことで、同性カップルが子供を持つこと、パートナーなしで子供を持つことのハードルはぐっと下がった。男性カップルであれば、どちらかひとりの精子を、バンクに登録された提供者の卵子体外受精することで、受精卵をつくることは可能だ。わたしは生殖技術の倫理的な意味についての議論に加わるつもりはない。肯定すればお前は当事者だからだろうと非難され、否定すれば自分の存在を否定するのかと詰問される。どちらでもない答えを模索するのが優等生的なふるまいなんだろうけど、そこまで本腰入れるつもりはさらさらない。わたしの立場からは、生まれちゃったんだからしょうがないでしょう、としか言えない。

 我が家の場合、精子を提供したのは和馬さんだった。直接聞かされたことはないけれど、八歳のころ、ふたりの寝室に忍びこんで父子手帳を盗み見たことがある。連名の父子手帳には、子の精子提供者の欄にはっきり、和馬さんの名前が印字されていた。重雄さんとの間にどんな話し合いがあったのか、まだ知らない。一度だけ、その事実を重雄さんに尋ねたことはあった。そのとき重雄さんが話してくれたのが、わたしが産まれた直後のことだった。和馬さんはわたしの顔を見て、似てる、と言った。その話をした重雄さんのうつむいた顔は、ひどく傷ついて見えた。

 出産を経なかったわたしの誕生日は、受精から二百八十日後と定められた。誕生日以降は生殖技術士の手を離れ、両親が養育することになる。新しい生命を胸に抱いたふたりは、ほとんどの両親がそうであるように、喜ばしさと同時に途方に暮れたような気分を味わっていたに違いない。わたしに子供がいなくても、想像することはできる。

 わたしがいた小学校では、クラスに二、三人は同性の親を持つ子がいた。はじめから親がひとりの子はもっと、いた。道徳の教科で取り上げられた詩をわたしはいまだに覚えている。詩の作者は忘れてしまったが、もしかしたら教師の自作だったのかもしれない。

 

 わたしがうまれてきたばしょは

 あかるく あたたかく ここちよく

 みたされて はれやかで おちついて

 かぐわしく うつくしく ひろびろとして 

 ひかりにみちた いえのなか

 

 これはみんなの家のことです、と教師は言った。みんなは、光に満ちた家に住んでいます。先生はここにいる全員の親御さんに、感謝しています。みんなはアメーバみたいに、ひとりでにぽんと産まれてきたわけじゃありません。だから感謝しているんです。光に満ちた家で、みんなを育ててくれてありがとうございます、と。

 帰り道で、わたしは何度もその七五調をつぶやいた。言葉の感じが心地よく、繰り返し口ずさんだ。

 

 ひかりにみちた いえのなか

 ひかりにみちた いえのなか

 ひかりにみちた いえのなか

 

 わたしは丸暗記した詩を、和馬さんと重雄さんの前で暗唱してみせた。何かメッセージを伝えたかったわけではなく、ただ長い文章を記憶できたことが嬉しく、それを披露したかっただけだ。ふたりの父は、暗唱が終わると無言でわたしを抱きあげてくれた。

 その授業が教師なりの、すべての家庭への肯定だということは今になってみればわかる。だけど、その家が光に満ちているかどうかを決めるのは第三者ではない。判断する権利は子供にある。どんなに優しい親がいて、裕福で、不自由のない生活を送っていたとしても、当事者である子供が暗闇で手探りをしているなら、子供にとっては暗闇がすべてだ。道徳の授業から一年半後、同じクラスの男の子が学校に来なくなり、いつの間にか転校していた。どこに行ったのか知らないけれど、家庭内暴力があったらしいということだけは噂で聞いた。その噂を教えてくれた男友達は、おとなびた、やるせない表情をしていた。帰り道でわたしはまた、ひかりにみちたいえのなか、とつぶやいた。

 この世のすべての問題に答えが存在するという言説が絵空事であることは、小学生でも知っている。あるのは落としどころだけだ。無数の関係者の落としどころというエアポケットに、わたしは産まれた。

 わたしは今も、光に満ちた家のなかで暮らしている。