雑誌岩井圭也

小説と雑文

わたしの『数学本』6冊目

『怠け数学者の記』岩波現代文庫

小平邦彦

 

 本書は1954年にフィールズ賞を受賞した国際的数学者・小平邦彦のエッセイ集で、知的刺激が詰めこまれた一冊である。読みやすく、歯ごたえのある文章は、数学界の巨人がどんなことを考えて生活していたかを克明に伝えてくれる。

 

 とりわけ印象深いのは、たびたび「数覚」についての記述が登場する点だ。

「数学を理解するということは、その数学的現象を「見る」ことである。(中略)私はかつてこの感覚を「数覚」と名付けたことがある」(p.24)

 伊東俊太郎との対談で「数覚」について問われる場面では、渡り鳥や碁打ちを例えに出し、「論理だけではどっちの方向に向って論理を進めるかということは出てこない」と語る。

 数覚を備えた小平は、(前記事で紹介した)厳密さを重んじるペレルマンとは一見すると異なった性質の持ち主に見える。しかし本質をつかむという意味では両者とも常人離れした能力を持っており、そういう見方をすれば、やはりペレルマンも数覚に恵まれたひとりではないかと思う。

 教育制度への批判精神にも富んでいる。1980年代に書いた文章で大学生の学力低下を嘆き、初等・中等教育の実例を挙げながら、当時の「急ぐ」教育の弊害を論評していく。数学に限らず、視野の広さを見せつけられる。「数学以外のことは何も知らない単純な数学者」という前置きを鵜呑みにしてはならない。

 <プリンストンの高級研究所>にいたころに妻へ書いた手紙を下敷きにした「プリンストンだより」がまた面白い。オッペンハイマー、ワイル、朝永振一郎角谷静夫といった錚々たるメンツが登場する。

 とりわけ朝永振一郎の書きっぷりは愉快だ。ホームシックにかかって米の飯を恋しがり、オッペンハイマーを中学校の校長先生に対するように恐ろしがる。周囲の人びとへの親愛がなければこうは書けないだろう。

 

 ちなみに『永遠についての証明』で主題に選んだコラッツ予想は、角谷静夫が取り組んでいたことから「角谷予想」とも呼ばれている。

 そして「数覚」にまつわるエピソードも、この小説の重要な要素として登場する。才能に恵まれ、それを発揮した人間は、否応なく嫉妬と羨望にさらされる。数覚に恵まれるのは幸福なことなのか、もしくは不幸の種か。行き場を失った才能はどこへたどりつくのか。

 正解は著者である私にも、誰にもわからない。