雑誌岩井圭也

小説と雑文

不伝子 <9>

 週に二、三度は広崎と一緒に食堂で昼食を取る。特に待ち合わせているわけではないけれど、たいていわたしのほうが先に食事をしていて、そこに広崎が来る。わたしの昼食が遅い日や広崎が外勤の日は、ひとりで食べることになる。同期社員は広崎の他にも何人かいるけれど、他の事業所に配属されたり、会社を辞めてしまったりで、わたしが働くビルにいる同期は広崎だけだった。

 とりたてて仲良しというわけではないが、研修期間中から広崎とは話すことが多かった。お世辞にも愛想がいいとは言えないわたしは、新人研修でもやや浮いていたという自覚がある。それ自体はいつものことだから特に気にしていなかったが、そんなわたしに時おり広崎が声をかけてきた。話しかけてくるときはたいてい一対一で、みんなの輪から外れているかわいそうな子を仲間に入れてあげよう、という傲慢さは感じなかった。ただし、広崎もまた同期のなかでやや浮いていた。要するに、似たポジションにいる存在としてシンパシーを感じたらしい。広崎がわたしに依存してこなかったのは救いだった。べったりくっついてきていたら、間違いなく拒絶していた。広崎はボーダーラインのぎりぎり外側という立ち位置を維持した。

 墓参りの二日後、食堂でチキンソテーを咀嚼するわたしの向かいに広崎が着席した。今日は長い黒髪を後ろでまとめている。服装はカーキのワンピース。化粧はいつも通りだ。彼女が選んだのは鰆の塩焼きだった。昼食で選ぶことができるメニューは四種類ある。肉系の定食、魚系の定食、丼物またはカレー、麺類。わたしと広崎のメニューは四分の一の確率でかぶるはずなのだが、まずふたりのメニューが一致することはない。今日のメニューを見たとき、鰆の塩焼きは真っ先に候補から外した。

 ねえ今日さ、と切り出す広崎の言葉の端にはなぜか緊張がにじんでいた。

「日本だった」

 その言葉が意味するところは理解できた。彼女の仕事は、市場に流通する品につけられたEANコードと北緯東経を関連付けることだ。

「日本にあたるの、何回目なの」

「初めて」

「商品は」

「造花」

 造花も売り物なのだという当たり前のことが意外に感じられた。

「しかも、この町なの」

 広崎は重大な秘め事を打ち明けるように、声をひそめた。わたしはつい眉をひそめた。地球の面積を踏まえれば、ただでさえ、日本国内にあたったのは奇跡のような確率だ。そのうえ造花のEANコードがこの町を示しているというのは、偶然にしてはできすぎていると思えた。

「本当の話だよね」

「本当の話だよ」

 広崎はあくまでも真面目にうなずく。仕事に必要以上の熱意を燃やす広崎だ。くだらない嘘をつくとは思えない。この町のどこかを示す造花に、わたしは俄然、興味を覚えた。

「それ、倉庫にあるよね」

 珍しくわたしが前のめりで話に乗ってきたことに広崎はやや困惑の色を示したが、すぐに気を取り直して、ある、と高い声で答えた。

 昼食を済ませたわたしは昼休みのうちに広崎の職場である倉庫を訪れた。今日は通用口と隣接するシャッターが下ろされ、室内はむきだしの蛍光灯で照らし出されていた。体育館のような広大な倉庫には、あらゆるものが所狭しと置かれている。オフィスと直結するドアを開けると、まず視界に飛びこんでくるのは、高さ二メートル、幅五メートルほどのスチールラックに押しこまれた大量のぬいぐるみたち。薄緑色、水色、淡黄色、桃色と色彩豊かな綿の詰め物が、モザイク壁画のようにはめこまれている。カエルは物言いたげに首を突き出し、ニワトリと思しき白い尻がはみ出ている。広崎はぬいぐるみの壁画に見向きもせず、左手に歩いていく。通路の両側にはラックや棚がずらりと並び、ボールペン、消臭スプレー、雪平鍋、ゴム長靴、電気ストーブなどがガラクタ同然に収納されている。ホームセンターのバックヤードにでも紛れこんだような気分だった。

「ここにあるのは全部、もう市場に流通していない商品」

 先を歩く広崎が、振り返りもせずに言う。ワンピースの裾が翻る。他の社員はまだ戻っておらず、倉庫にはわたしと広崎しかいない。

「登録が追いついてないんだ。ここに搬入して、放置している間に廃番になっちゃう品が結構あるんだよ。そういうのは、さらに優先順位を落とされる。だからよっぽど暇にならない限り、廃番商品は増え続ける一方」

 わたしは再度、物言わぬ大量の廃番商品たちをうかがった。一度はEANコードをつけられ、店頭に並びながら、販売中止になった数々の商品たち。頭上では蛍光灯が煌々と光を放っているのに、この通路はどこか薄暗さを感じた。ものが多く、至る場所に影ができているせいかもしれない。

 廃番商品の迷路を抜けると、オフィスめいた場所に出た。四つのデスクが固めて置かれ、そこだけ見ればありふれた職場だった。正面の壁は白く塗装された鉄のシャッターで、今は下ろされている。さっきはあふれるもののせいでよく見えなかったけれど、倉庫の壁も白い壁材で覆われている。むきだしのコンクリートではない。デスクの周辺には青いビニールシートが敷かれ、細々とした品物が散らばっていた。広崎はシャッター側のデスクのそばに広げられたビニールシートに近づいた。そこが自分の居場所なのだろう。繊細な手つきでオルゴールやスノードームを脇に除け、造花を取り上げた。

「これ」

 ふりむいた広崎は、両腕に薄紫色の花束を抱いていた。スミレを模した十数本の花が、エアコンの風に吹かれてかすかに揺れている。懐にあるものを絶対に傷つけまいという、広崎の緊張がこちらにまで伝わってきた。わたしのほうを見て、途方に暮れたような顔をしている。まるで赤子を抱いているようだった。

「きれいだね」

 素直な感想が口から漏れ出た。造花の花束が、というより、広崎に抱かれた造花の花束が、きれいだと感じた。同時に、さっき見たばかりの廃番商品たちの影がフラッシュバックした。いまだ彼女に抱かれず、これから先もきっと抱かれないであろう廃番商品の山。彼女は花束を抱いているが、消臭スプレーやゴム長靴を抱くことは永遠にない。なぜなら、彼女にとって重要な意味を持たないからだ。

 広崎はパソコンのモニターに地図をうつし、目当ての場所を表示した。町を横断する一級河川の河原。それが造花の花束が示す地点だった。クリックすると、その地点からの眺めが映し出される。周囲に人家はなく、幅の広い川が流れ、石くれが転がっているだけだった。特に変わったところのない、いつもの河原。わたしの興味は急速に薄れていった。一方の広崎は熱っぽい視線をモニターに送ってる。

「ここ、行ってみるつもり」

「行って、それで?」

「別に、何がしたいってわけじゃないけど。でも気になるから。どんな場所なのか」

 さっき映し出された画像を見れば、どんな場所かだいたいわかる。あえて足を運ぶ必要性は感じなかったが、広崎がそうしたいというのなら止めるつもりはなかった。気をつけて、と言い残して、わたしは倉庫から立ち去った。夜にはもう、広崎とそんな話をしたことは忘れていた。二日後、食堂で遭遇した際もその話はしなかった。一瞬だけ花束の薄紫色が頭をかすめたけれど、広崎に事の顛末を尋ねるほどの興味は湧かなかった。