雑誌岩井圭也

小説と雑文

不伝子 <16>

 身体は重いのに、動いていないと落ち着かなかった。じきに起き上がり、階下へ降りた。父たちはまだ帰宅していない。わたしの足は自然と、父たちの寝室に向いた。一階の奥にある洋間に足を踏み入れる。二つのシングルベッドの間にあるサイドテーブルの前にしゃがみこみ、下から二段目の引き出しを開ける。十数年前にこの寝室を探索したとき、その引き出しで父子手帳を発見した。そのときのままなら、今でもここにあるはずだ。

 引き出しにはソーイングセットやボタン、ポイントカード、ハガキ、古い結婚式の招待状、色あせたレシート、封筒などが入っていた。雑多なものをかき分け、底のほうに眠っている父子手帳を引っ張り出す。表紙にはふたりの名が手書きで記されていた。身長、体重の測定結果や予防接種の記録をめくる。精子提供者にはやはり、和馬さんの名前があった。何度見ても同じだとわかっていても、確認せずにはいられない。

 わたしには、重雄さんの血は流れていない。思春期のときに感じた鋭い痛みはないが、胸の奥にいつまでも鈍痛が居座っていた。

 父子手帳を戻そうと引き出しの奥を探っていると、古い型の外付けハードディスクを見つけた。目にした瞬間、そこに何が記録されているのかを悟った。体外妊娠を選ぶ親のなかには、子供の取り違いを恐れ、親のゲノム配列を記録しておく者がいるということは知っていた。出産直後に子供のゲノムと照合することで、その親の子であることが確認できる。おそらく、このハードディスクには和馬さんのゲノム配列が記録されている。個人情報をこんなところに放置しておくのは危険だ。わたしは父子手帳を戻し、ハードディスクを手に部屋を出た。父たちはまだ帰っていない。

 自室に戻ったわたしは私物のパソコンにハードディスクをつないだ。相当に古い型だから読みこめないかもしれないと思ったが、内部の情報はきちんと保管されていた。案の定、データはゲノム配列だった。記録日はわたしの誕生日のおよそ十一か月前。産院の分析証明書が一緒に入っていた。当時はまだ、個人が気軽にゲノムを解読できる時代ではなかった。証明書には、産院が有償サービスの一環として、受精に用いた精子からゲノムを抽出した旨が記されていた。

 わたしは、遠隔操作アプリのことを思い出していた。主任のパソコンにはまだあのUSBが差さっているだろうか。試しにアプリを開いてみると、まだ接続は残っていた。打合せがはじまってから三時間は経つ。USBを差しっぱなしで、起動したまま帰宅したのかもしれない。あるいはまだ打合せが終わっていないのか。理由の推測を中断し、ライブラリにアクセスする。ハードディスクのゲノムを、ふたたび数分かけて入力する。検索は瞬きしている間に完了した。

 出来心だった。母の配列を目の当たりにした以上、父の配列も確認しておかなければならないような気がした。深い意味はなかった。だから、検索結果に重雄さんの情報が表示されたとき、わたしは自分が知ってはならないことを知ったのだと、咄嗟に後悔した。

 あれ、と自然に声が漏れていた。どこかでコピーを間違えたのだろうか。もう一度、ハードディスクのファイルをコピーしてライブラリに入力し、検索する。やはり重雄さんの氏名が表示された。ここに保存されているのは、和馬さんではなく、重雄さんのゲノムだ。産院の分析証明書を開く。そこに記載されているのは紛れもなく和馬さんの名前だ。

 サンプルの取り扱いミスか。いや、これは受精のために提出した精子から抽出したゲノムだ。それに、そもそも重雄さんの精子は提出していないのだから、取り違えが起こるはずがない。わたしはフリーソフトで、自分の配列と重雄さんの配列の相同性を調べた。間もなく、ふたりが紛れもなく血縁関係にあるという結果が弾きだされた。もはや、考えられる可能性はひとつしかない。

 父たちは和馬さんの精子と偽って、重雄さんの精子を提出した。

 アプリを閉じるのも忘れて、わたしは表示された重雄さんの氏名を食い入るように見つめていた。え、どういうこと。わたし、和馬さんの精子から胚に発生したんじゃなかったの。どうしてそんな嘘ついたの。本当に血がつながってるのは重雄さんで、和馬さんとは血がつながってないってこと。わたしが生まれた直後に和馬さん、つぶやいたんだよね。似てる、って。え、待って。

 似てる、って、誰に?

 耳まで熱くなり、血がぐるぐると全身を巡り、それがまた身のうちから発火する。体温のフィードバック機構が壊れていた。際限なく熱くなっていく身体は重く、私は床に座りこんだ。三角座りになって膝を抱え、右膝の皿のうえに顎を乗せる。脛をつかむ手のひらが汗をかいていた。

 和馬さんは、わたしの顔が自分の顔と似ていることを喜んだんじゃない。わたしの顔が、精子提供者である重雄さんに似ていることを喜んだのだ。