雑誌岩井圭也

小説と雑文

モラトリアム三段 <7>

 土日の夜は会社勤めの常連客が来ないから、割と暇だ。

 その日は特に退屈だった。宮村さんは棚やウォークインの補充を終え、トイレ掃除も済ませ、バックヤードの整理もしてしまい、レジで手持ちぶさたに待機していた。勤勉な宮村さんですらそんな調子なのだから、おれはもっと暇だった。

 そんな日でも、妖怪は元気にページを濡らしている。すごく太っているわけではないが、手汗の量は体型とは関係ないらしい。ぱっと見、身長170センチ、体重80キロくらいか。薄緑色のページに注がれた視線は、打席に立った野球選手、あるいは盤に向かうプロ棋士にも似た真剣さだ。それがまた腹立たしい。そんなに真剣に読むなら、買えよ。

 レジで立っているだけだと、時間が経つのが遅い。

「宮村さんて、一人暮らしですか」

 隣に立つ宮村さんが振り向いた。マネキンみたいに色が白い。

「実家だけど」

「暇な時とか、何してるんですか」

 え、と言って首をかしげた。

「ネットとか、マンガ読んだりとか」

 そうなんですね、と言ったきり会話が途切れた。拾いどころゼロ。今度は宮村さんが尋ねた。

「久原くん、剣道やってるよね」

「はい」

「どれくらいの頻度でやってるの」

「毎日ですけど」

「毎日? ほんとに毎日? 欠かさず練習してるの」

 毎日、というところに食いつくとは思わなかった。宮村さんはスタンドライトのように細い腕を組んだ。いかにも運動をしてこなかった人、という感じ。

「まあ、はい。日曜は自主練ですけど」

「そんなに剣道やって、どうするの。道場でも開くの」

 つい最近も、慎太郎とこんな話をした。何のために剣道をするのか。こっちが教えてほしいくらいだった。

 強いて言えば、おれには他にやることがない。宮村さんが退屈しのぎにネットやマンガを眺めるのと、本質的には変わらない。何となくはじめて、いつの間にか真剣になることは誰にでもあるだろう。

 でも江戸時代の剣豪だって、道を極めた先に何があるかなんて、実はわかっていなかったんじゃないか。わかっていたならそもそも極める必要がなかったはずだ。おれと同じように、他にやることがなかっただけなんじゃないか。

「剣道くらいしか、できることないんで」

 宮村さんは軽く頭を振った。

「毎日は無理だな。毎日は無理」

 バイトは毎日しているくせに。まあ、バイトは金を稼ぐためだから少し違うか。雑誌の棚に視線を送りつつ、声をひそめて言った。

「あいつも毎日、続けてるじゃないですか」

 ページ濡らしは、食い入るように雑誌を見つめていた。かすれた英単語がたくさん印刷されたTシャツに、マジックテープのポケットがついたナイロンパンツ。この店は今日も平和だ。

 やっと客が来たと思ったら、店長だった。家はここから歩いてすぐの場所にあるらしい。グリーンのポロシャツを着た店長は、まんま休日のお父さんだった。布地を押し広げて、丸い腹がせり出している。人のよさそうな垂れ目をおれたちに向けると、レジカウンター越しに話しかけてきた。

「今日は暇そうだね」

「かなり」

「今度の懇親会、あるでしょ」

 六日のですか、と宮村さんはけだるそうに応じた。

 来月六日、うちの店は数年ぶりに休みを取る。本部からの指導で、電気設備の総点検をするらしく、その日は全時間帯が休みになる予定だった。それに合わせて、店長がアルバイトたちの懇親会をやると言い出したのだ。幹事を押しつけられたのは宮村さん。バイトリーダーという肩書きのせいだった。

「さっきバイザーから連絡あってさ。どこで聞いたのか、懇親会のこと知ってたんだよ。で、せっかくアルバイトが揃う機会だから挨拶がしたいって。要するに自分も来たいってことらしいんだけど」

 本部のバイザーは嫌なやつだ。四十過ぎのくたびれた男で、常に不機嫌そうな顔をしている。時おり店に顔を出しては、必ずいちゃもんをつける。ポップの付け方や陳列の不備を誇らしげな顔であげつらい、店長を更衣室で三十分ほど叱りつけて帰っていく。剣道部員なら足腰立たなくなるまで打ちのめしていただろう。

「バイザーが来るなら行くのやめようかな」

「ダメダメ。もう出席予定の一覧送っちゃったから。そういうことだから、宮村さん、よろしくね」

 店長は紙パックの牛乳とアイスクリームを買って帰った。どうやら家族のお使いが本来の目的だったらしい。宮村さんの顔つきは、店長が来る前より心なしか憂鬱だった。

「幹事、面倒くさそうですね」

「別にいいよ。他にやることないし」

 人間の行動理由なんて、その程度なのかもしれない。