雑誌岩井圭也

小説と雑文

わたしの『数学本』7冊目

『放浪の天才数学者エルデシュ草思社

(ポール・ホフマン、訳・平石律子)

 

 1475。

 これは共著を含めて、稀代の数学者ポール・エルデシュが一生のうちに発表した論文数である。普通の数学者の優に10倍以上に及ぶ論文を、彼は83歳で亡くなるまでの間に残した(エルデシュより多くの論文を残したのは「数学のサイクロプスオイラーのみ)。しかもその多くが、数学上の重要な問題に関するものだったというから驚嘆するしかない。

 エルデシュを語るエピソードには事欠かない。彼は神を「SF」、子どもを「エプシロン」と呼び、数学をやめたことを「死んだ」と、誰かが死んだことを「去った」と表現した。STは『すべての数学定理の最高の証明』が書かれた「ザ・ブック」を持っている、というのが彼の口癖だった。

 本書では、人類最高級の天才にして奇人であるエルデシュの生涯が語られる。

 

 ポール・エルデシュハンガリー出身。父は強制収容所に入れられ、母は教師として働いていた。ブダペストのパースマーニー・ペーテル大学で博士号を取得後、マンチェスター大学から奨学金を受けて渡英。このころから放浪癖がはじまったという。

 常に世界各地を飛び回り、ベンゼドリンやカフェインの力を借りながら四六時中数学の問題を解き続け、知人の家を問答無用で突然訪ねては「君の頭は営業中かね?」と問いかけ、ともに数学的課題に取り組む。これがエルデシュの生活スタイルだった。この世に生を受けながら、エルデシュは数学の世界の住人だったのである。(ちなみに、彼は多くの数学者のファーストネームを知らなかったが、ただひとり、トム・トロッターだけはファーストネームで呼んでいた。ただし、「ビル」と呼んでいたらしい。)

 エルデシュの数学的才能できわだっていたのは、問題を解決する能力だけではない。彼を知る多くの数学者が、「適切な問題を、適切な人物に出題する能力」に優れていたと語っている。エルデシュはこの能力によって、数々の優秀な後進を育成した。

 エルデシュが心臓発作で「去った」のは1996年。セミナー出席中に倒れ、その日の午後に亡くなった。死の間際まで数学をしていたのである。

 彼は生前、こんな言葉を残している。

『わしが去ったら、複数の場所に同時にいられるようになるかもしれん。そうなったら、アルキメデスユークリッドとも共同研究ができるかもしれないな』(p.195)

 今でも毎日、エルデシュは偉人たちに向かって「君の頭は営業中かね?」と問い続けているのかもしれない。

 

 『永遠についての証明』の主題であるコラッツ予想について、エルデシュは「数学はまだこの種の問題に対する準備ができていない」と言い残した。

 そのコラッツ予想の顛末を、最後まで見届けていただければ幸いである。