雑誌岩井圭也

小説と雑文

スタートラインに立つまで

 『永遠についての証明』が発売されてから、20日余りが経ちました。おかげさまで嬉しい感想をたくさんいただき、本当にこの小説を書いてよかったです。
 嬉しいことに最近はたびたび取材していただく機会があり、自分自身と小説の関係について考えることが増えました。なかなかぱっと答えられないこともあります。いったん自分の過去を振り返ってみたいと思ったのは、そういった経緯からです。
 このエントリーでは、野性時代フロンティア文学賞を受賞するまでのことについて、つらつらと書いてみたいと思います。

 最初に小説を書きたいと思ったのは小学3年生のときでした。
 現在は廃刊になってしまいましたが、当時は小学館から『小学三年生』という月刊誌が出ていました。毎月購読していた私は、北森鴻先生連載の「ちあき電脳探てい社」というミステリー読み物に夢中でした(現在はPHP文芸文庫になっています)。それまでも「かいけつゾロリ」や「エルマーのぼうけん」は愛読していましたが、ミステリーに触れたのは初めての経験でした。
 連載が終わってからも「もっと読みたい!」という欲求が収まらず、「自分で書けばいいんだ」と思いついてからはオリジナルのミステリー物語を作ることに熱中するようになりました。とはいえ気の利いたトリックなど思いつかず、本編をノートに書きはじめては挫折する、ということの繰り返しでした。物語が書けないためキャラクターの設定に終始し、ひとクラス分のキャラクターを作っても肝心の本編は一話もできていないという有り様だったのです。
 中学、高校に上がってからも、キャラクター設定やあらすじは作るものの、本文は数枚書いてはやめるということを繰り返していました。ぼんやりと「物書きになりたい」という夢を抱いていたものの、現実的には夢を追うことすらしていなかったのです。

 大学生になり、札幌でひとり暮らしをはじめてからは授業や剣道部の練習、アルバイトで忙しく、2年ほどは読書すらほとんどしませんでした。物書きという目標があったこともすっかり忘れて、学生生活の楽しさにかまけていました。書ききれない物語をこねくり回しているより、友人と遊んでいるほうがずっと楽しかったのです。
 大学2年も終わろうとする春休み、私は剣道部の一員として関東への遠征に行きました。その最中に何気なく立ち寄った品川の書店で、何がきっかけだったのかはわかりませんが、ふと「そういえば、小説を書きたいんじゃなかったっけ」と思い出しました。突然生じた小さな火種はいつまでもくすぶり、札幌に戻ってからも燃え続けていました。
 しかし書き出したところで、完成させる前に力尽きるのはこれまでの経験から目に見えていました。じきに私は「書ききれないのは、読書量が足りないせいだ」という結論に至りました。自分のなかに物語を蓄積させない限り、新しい物語を生み出すことはできないと確信したのです。
 それから大学院を修了するまでの4年間は、読書に専念しました。本を読むのはそう早くないため、目標にしていたほどの量は読めませんでしたが、それでも物語の基礎体力くらいは身につけることができたような気がします。

 改めて小説を書きはじめたのは社会人になってからです。研修期間、早めに帰宅する毎日を過ごすなかで、「書きたい」という衝動にまかせて、どうにか原稿用紙100枚程度の短編小説を書きあげることができました。学生時代、研究で行き詰まった経験を反映した内容でした。それが初めて書いた小説になります。完成するころには次の長編のアイディアもおぼろげながら浮かんでいて、すぐに次作に取りかかりました。
 それから今に至るまでのおよそ6年間、ほぼ継続して小説を書き続けています。
 投稿していたころは何度か新人賞の最終候補に残りました。2年連続で同じ賞の候補に残ったこともありますが、受賞という結果には至りませんでした。落選が続くと気分もふさいできます。この方向性でいいのだろうか、と迷うこともあります。幸い、私は地方文学賞をいただいたおかげで「やっていることは間違っていない」と自信を持つことができました。成功体験を重ねたおかげで、肩の力もいい具合に抜け、徐々に書くことも楽しくなってきました。
 昨年フロンティアの奨励賞をいただいたときは、次が勝負だ、とはっきり認識しました。2018年のフロンティアで受賞できなければ、この先しばらくは難しいだろう、という予感がありました。なので3月に受賞の連絡をいただいたときには、純粋な喜びよりも安堵感のほうが強かったのを覚えています。ようやく物書きとしてのスタートラインに立つことができました。あとは力尽きるまで走り続けるのみです。

 学生の6年間、剣道や研究は一生懸命やってきたつもりですが、いずれも期待していた結果は得られませんでした。挫折と呼ぶのもおこがましいほど幼稚な失敗体験ですが、当時の私はそれなりに苦悩していました。
 残されていたのは小説を書くことだけでした。だからこそ続けることができたのかもしれません。これからも衝動の火が消えない限り、小説を書き続けていくのだろうと思います。